物事を教えるという視座で考えること:大学生の観察を通じて

学生と関わるようになって個人的に思ったことを書いてみる。
学生だったときと違い、見え方が違って色々と思うことがある。

■ 教わる側は何を必要としている?
物事を教わる場合に学生一人ひとりが必要としていることは違うのではないだろうか?
人それぞれ思い描いている将来とかこれからの進路とかが違う。
だから、個人的には教える立場にある人もそれぞれの学生に対応を変えるべきなのだと思う。

高校までは受験という明確な目標があり、試験で高い点数を取ることが正しく、それ自体がが目的だった。だが、大学からは受験という明確な目標はなくなる。
そのため、大学生が目指すものは色々とある。個人的に学生の目標型を分けてみた。

・卒業後のそれなりの給与と自由な休暇を得られる職業を目指す(職業安定型)
・大学生活はとにかく楽しく過ごす。(娯楽型)
・大学で何も学ばなくていいから卒業したいという思考(卒業証書型)
・野心を持ってなにかチャンスを探す(野心型)
・明確な目的を持って専門性を学ぶ(専門型)
・目標を全く持てず何をしていいのかわからない人(放浪型)
・・・・・・・・・・・・・・など

上記のように学生はそれぞれに目標を持ち目指すものが全く違う。
だから、学生一人ひとりが欲する大学へのニーズは違ってくるし、取るべき対応も異なるべきだと思う。こんなこと学生は全く考えないだろうから、接し方が異なることに対して不平等だという人も出てくる。だが、目指すところが違うから個人的には接し方はある程度かえるべきだと思う。

■ 個人が持つ尺度の拡張が大きくすると最適解に近づく
学生との関わりと通して思うことは、物事の尺度を自分で決めいていると言うこと。
ある意味で高い自尊心を持っている言えるかもしれないが、自分の作った尺度の中では成長はできないと思う。研究や芸術を追求することや社会に出て働くことには一つに決まる答えはない。だから、最適解に近づくことが大切になるのだと思う。

ここで言う最適解は一つとは限らないし、人が関わるので複雑な感情も解に関係する要素になるからとても複雑になる。このような複雑な問題に対して答えを探し求める行為は答えに近い極大値を求めることに似ていると思う。

最適解を探し求めるためには、視野を広く持たないと間違った極大値を答えだと思い込む。簡単で誰でも飛びつくような極大値に人は集まるだろうけど、それが本当の最大値ではない。自分の気持ちいい領域で、は本当にいいものは見つけられないし作れない。だから、学生には自分の尺度を壊して広げることが一番大切だと個人的に思っている。

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